日々の記録

生後8カ月でお迎えした柴犬なつめと暮らしています。アイコンは先代柴犬よもぎ(2007~2022)です。

最初で最後の父との料理

コンビニの菓子パンが好きなのだが、決まって体重が増えるので、自制している。コンビニにもめったにいかないのだが、今日はどうしても食べたくなってちょっと寄ってみた。

久々のセブンイレブン。パンコーナーをのぞくと、「じゃりぱん」

漫画『クッキングパパ』が思い浮かぶ。

宮崎のパンだ。

食べることが好きな両親のもとで育った。さらに母は料理好き、父は「教科書忘れても弁当忘れるな」が口ぐせだった。

そんな我が家には、私が物心ついたころから『クッキングパパ』があり、家族みんなで楽しんでいた。

著者のうえやまとち先生が福岡在住。九州の名物も多く登場する。

福岡のおきゅうとやマンハッタン、長崎のトルコライス、熊本のからしれんこんん、宮崎のチキン南蛮、鹿児島のかるかんなど、この漫画で初めて知った。

このじゃりぱんもそのひとつだ。

外国の料理も魅力的で、聞いたことがない材料の知識が増えていくのも楽しかった。

たくさんある料理の中でも、一番印象に残っているのが「鴨のオレンジソース」である。唯一父と一緒に作った料理だ。

 

中1の秋。部活での怪我がなかなか治らず、遠くの大きい病院へ父に連れて行ってもらった。

怪我を早く治したいという素直な話ならよかったのだが、この怪我が治るのを恐れていた。

所属していたバドミントン部は、毎年県で上位に入る強豪校だった。小学生のときにバドミントンを始めた私は、先輩たちのように強くなりたいと憧れて入部した。

しかし、顧問がとても厳しく、練習内容も毎日ハード。やらされている感がして嫌気が差していた。

さらに周りは走るのが速い子ばかり。持久走のトレーニングでは差をつけられていた。始めたのが早かったので、その貯金で強いグループに入っていたが、運動神経がいい子たちはメキメキ力をつけ、今に追いつかれ追い越されると、1日1日焦りが強くなっていった。

心身ともに疲れていた私にとって、怪我はその競争から抜け出せる、都合のいい休息を意味した。

だけどいつまでもこのままではいられない。怪我が治ったらまたあの毎日に戻らなければいけない。先のことを考えてモヤモヤする日々。

かといって、退部する勇気もなかった。全速力で思いっきり逃げ回るのではなく、歩いたり隠れたり小走りで逃げたり、姑息な鬼ごっこのようだった。

 

病院で診てもらった帰り、デパートに寄ることになった。

鴨肉を探しに来たわけではなかったと思う。お肉屋さんの前を通りかかったとき、お互い『クッキングパパ』の「デパートなどで鴨肉が手に入る」と書いてあったページを思い出したのだろう。どちらからともなく「ここなら鴨肉あるかなあ」と店員さんに聞いてしばらく待つ。

当時の私にとって、お肉のソースにフルーツを使うなんて未知の世界。おしゃれな料理。ましてや鴨肉なんて!

店員さんが戻ってきた。手には鴨肉。感動してテンションが上がる。あの料理作ってみよう!オレンジも買って帰った。

 

家に着くと、さっそく『クッキングパパ』を開いて調理開始。普段料理をしない2人が、ああでもないこうでもないと言いながら、食べたこともない料理に挑戦。意外にも時間はそんなにかからず、夕食の時間に十分間に合った。余裕で完成。

見た目はとてもいい感じ。果たして味はどうか。

一口食べて目を見張った。

これぞまさしくビギナーズラック。とても美味しく作れた。母がびっくりしていたのを見て確信した。

うまくいかない毎日の中で、うまく作れた料理。閉じた心に風穴があき、息苦しさが少しやわらいだ気がした。

 

これが父と作った、最初で最後の料理となった。

こう文字にするとなんだかしんみりしてしまいそうになるのだが、この1回がはっきりとした輪郭をもって、私の人生の1ページに深く刻まれている。それはむしろ幸せなことだと思っている。