日々の記録

生後8カ月でお迎えした柴犬なつめと暮らしています。アイコンは先代柴犬よもぎ(2007~2022)です。

最後にカラオケで歌ったのは、友達が失恋した時だった

ありがたいことに、ここ1か月ほど方々からお誘いがかかった。みんな動き出しているのを感じる。

桜を見に行ったり、ランチやお茶をしたり。いただいたお誘いは、都合がつく限りすべてお受けした。社交的ではなく家で過ごすのが好きなはずなのに、この長いコロナ禍で私も人との関わりを求めるようになっているのだろうか。これまでは2、3か月に1回あるかないかだったので、月に3回は私にとってはかなりの頻度と言える。

 

だけどひとつだけ断った誘いがある。カラオケだ。

 

歌うのが苦手なのだ。もっとはっきり言おう。音痴なのである。

それに気づいたのは中学生の時。それまでは流行りの歌を追いかけ、けっこう詳しかったし趣味とも言えるほどだった。家族でカラオケに行って楽しんだりもしていた。

それが変わったのは中1の休み時間。友達3人と流行りの歌を歌って遊んでいた。思うまま気持ちよく歌っていたのだが、1曲終わり、次何歌う?となったとき、友達の1人が私に「次は2人で歌わせて」と言ってきたのだ。

どうやら、ものすごーく意識すればどうにか音程はとれるらしい。音楽の授業はそれで乗り切った。しかしそんな窮屈なカラオケ、楽しくない。

音楽も聞かなくなった。流行りの歌も、歌手の名前やグループ名もあっという間に分からなくなった。

歌わなくてもいいなら、と1度同行したことがある。5~6人の仲良しグループ。私はそれでよかったのだが、気心しれた友人たちでさえ気を遣ってくれたのを察し、それ以来行くのを本当に辞めた。頑なに断り続けた。

 

そんな私が最後にカラオケに行ったのは、友達のあーちゃんが失恋した時である。大学3年生だった。あーちゃんは私が失恋した時に慰めてくれた恩人なのだ。

 

あーちゃんは高校の同級生。

同じクラスになったことはない。入学してすぐ水泳部に入部してそこで知り合った。私は1学期で退部して接点がなくなったのだが、不思議と友達関係は続いていた。

高2の時、私に好きな人ができた。もちろんあーちゃんに相談していて、2月のバレンタインに告白しようと決意した。

思春期の私はバレンタインになると、人が変わったかのように妙に張り切る傾向があった。普段は告白なんて絶対考えられないのに、なぜかそんな勇気が出てくるのである。人生で初めて告白したのも中2のバレンタインだった。

結果は見事玉砕。「彼女がいる」と言われた。

その帰り道、応援してくれていたあーちゃんに電話し結果を報告。涙が込み上げて声が震えた。

そんな私にあーちゃんは力強くこう言った。

 

だれか紹介するから!

 

顔が広いあーちゃんならではの言葉だ。初めて言われた、予想だにしていなかった言葉に拍子抜けして、浮かんでいた涙も引っ込んだ。

そして私は引きずらずにすぐ立ち直れた。

 

それから4年。その恩人のあーちゃんが落ち込んでいる。今度は私の番だ、と使命感にかられた。

あーちゃんがカラオケに付き合ってほしい、と言った。

迷わず返事した。

よし、わかった。とことん付き合うよ。歌うのヘタだけど、大事な友達あーちゃんを癒せるならば。

アップテンポのノリのいい歌を思いっきり歌ったり、失恋の曲を流して「ものすごく刺さる」としみじみしたり。

私は小学生の時に聞いていた曲しか歌わなかったし、音程とか考えず思いのままに歌った。

 

帰り道、

あーすっきりした

とあーちゃん。

その顔を見たら、私もすっきりしてホッとした。