日々の記録

生後8カ月でお迎えした柴犬なつめと暮らしています。アイコンは先代柴犬よもぎ(2007~2022)です。

2月23日

午前中は美容室へ。人と会うお出かけは久しぶりなので、sneeuwのジャンパースカートを前日からつるして準備していたのだが、残念なことに翌朝になっても折り目がついたままだった。

担当してくれる美容師さんは、髪型や頭皮のことは詳しく丁寧に説明してくれるのだが、それ以外は放っておいてくれるのでとても心地よい。プライベートを聞かれるのは苦手。

前回いただいたカモミールティーのティーバッグがおいしくて、お取り寄せしたことを報告。とても喜んでくれた。ロゴはどっかで見たことがあるような気がするが、TWGというシンガポールのお茶で、高級なものだった。

 

そして今日はよもぎの月命日だ。4カ月前に亡くなった柴犬である。15歳だった。年々、1年経つのがはやい、1か月なんてあっという間と感じるようになっているが、このことに関してだけは、まだ4か月かあと思う。

めったにお出迎えなどしない、典型的な柴犬だったので、帰宅するとまずよもぎを探すのが習慣だった。亡くなってからも、しばらくは無意識に探していて「ああ、いないんだった」となっていたが、それも最近はもうなくなっている。彼女のことを永遠に忘れることはないだろうが、時間とともにこうした細かい習慣はなくなり、やがてその習慣があったことすら、ぼんやりとしてくるのかもしれない。

今思えば残念なことであるが、彼女の若いときの写真が少ない。スマホでもなかったし、写真うつりがあまりよくないと思っていた。こんなにかわいいのに、写真に撮るとそのよさが出ていない。これが数少ない中の1枚だが、もう5,6歳になっている。

年をとったら少したるんできて、それがさらに愛おしくなり、写真うつりも悪くないように思えてきた。12,3歳のころ、あとどれくらい一緒に過ごせるだろうかと思い始めて、たくさん写真をとるようになった。そして、一緒にいる瞬間瞬間に感謝し、「これが当たり前じゃないんだぞ」とちゃんとかみしめてきた。その自信はあるのだが、やはり何かが足りない毎日ではある。

月命日に彼女との思い出を書く、というのを思いついたが、決まりごとを作らないとつい先日決めたばかりなのでやめた。思い出すたびに記録していけばいい。「いつまで一緒にいられるだろうか」という心配はもうしなくていいのだから。